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社長ブログ

2008.02.24

ウエダ再興記(26)~ 物流事業からの撤退交渉

ウエダ再興記

いくつかの難問を同時に、しかも四面楚歌の状態で対していかなくてはいけませんでしたが、その中でも大変難問であったのが、共同物流センター事業でした。

これは国の制度融資を得る為に、卸組合の土地を担保にし、組合の事業として行なったのですが、ウエダを含む5社が実際、資金も出し、事業運営を行なっており、その他の数十社はユーザーとして物流会社を利用しているだけの構図でした。

その5社の中でも、規模で負担金などの比率を決めており、ウエダともう一社で半分以上の負担をしており、約1億近い運営費を年間払う事になっていました。
しかも怖ろしいのは、その物流会社が赤字になれば、その損失をこの5社が、その比率に基づき追加負担をしなくてはならない構図で、ユーザーとして利用しているだけの会社は、他が安ければそこに代えれば良いだけですが、この5社は、自社に損失が返ってくるだけなので、この物流事業からは抜けられない蟻地獄の様相でした。

時代はバブルが弾け、バブル絶頂期に作成した甘い事業計画での物量など見込めず、逆にドンドン減っていく状況で、当初据え置きでスタートしていた融資の返済もスタートしていく時期でした。

問題があまりにも複雑である事、私が全く知らない業界の組合の事であり、色々な関係性が私では分からない事、他にたくさんの難題に取り組まなくてはならない事などから、この物流事業からの脱退交渉だけは兄の方で行ってもらう様にしていました。
しかし、しがらみもあり、かなりの腕力の要る交渉でしたので、全く進んでいませんでした。

私の進めるいくつもの難題の一つは、当然の事ながら、真っ赤な赤字会社を黒字化する事であり、しかも前回までに書いていた様に、この頃の貸し渋り、貸しはがしの状況下では、一刻も早く達成しなくては間違いなく倒産に追い込まれるという状況でした。
それを考えると、結局は私がこの問題も解決しないと、他の解決に繋がらず、この交渉も私が行う事にしました。

初めて、5社の社長との交渉に出ました。
それまでに兄を通じて、ウエダは撤退させて欲しいと言っていましたから、皆私の意向は分かっています。
又、撤退の決断を出しているのは、社長の兄ではなく私である事も、皆分かっていますので、ここでも私は悪役でした。

しかもこの場合は、他の4社からすると、一番メインのウエダが撤退するとなると、余計に苦しくなるのは明白である事、又この事業は、ウエダの社長であった私の父が組合の理事長時代に、決めた事業でもあるので、ウエダが脱退など許せる筈のない話であり、初めから予想通り、”ウエダが脱退するなど何事だ”、”今抜けられると完全に立ち行かなくなる”、”止める為には、融資返済など多額の現金を用意せねばならず、そんな事ができるわけがない”など一斉に言われました。

私は一通り話を聞いた後、”確かに厳しいかもしれないが、この状況を考えると今日が一番損失が少ない、それは各社とも状況は同じ筈だ”と訴えました。

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