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社長ブログ
2007.11.11
ウエダ再興記⑪~ 有限会社エムズカンパニー設立
繊維という業界ではありますが、流通の大元に居て物の流れていく様子を見て来た後、繊維業界にはあまり関係なかった特許というものも勉強し、平成6年1月6日有限会社エムズカンパニーを設立しました。
この頃は会社を大きくする事は全く考えておらず、むしろ自分一人でもやっていけるビジネスモデルを構築し、小さい会社でも決して弱い立場にならない様なビジネスを行なおうと思っていました。
当時、ウエダ本社の会長だった父親からは、”有限会社なんて格好悪いから、株式会社にしろ”と言われましたが、体裁なんて必要のない、オリジナル性の高いビジネスをやらないと意味がないと思っていましたので、あえてその意思を表す為に有限会社にしました。
一人でも存在価値を示して相手してもらえる会社にする為には、体裁なんて必要のないモデル、商品を展開できなければ生き残っていけるわけがないと考えていたからです。
独自性の高いビジネスを行う為にまずは、輸入ビジネスから始めようと思いました。
と言っても英語も大して話せませんし、貿易など全く知りませんでした。
又、いくら描いているビジネススタイルがあっても、何もなければ食べてもいけません。
学生時代のアルバイトで一緒だった女性が、神戸の大手アパレルに行っていたのを辞め、イタリアに行っているという事を知っていたので、彼女の連絡先を聞き、連絡を取りました。
彼女のバイト時代の仕事ぶり等を考えると、海外に渡っても絶対、成果を上げているだろうなと思っていました。
連絡を取ってみると予想以上に活躍していました。
当時円高が進み、後には1ドル79円もつけた頃でしたので、日本のアパレルがこぞってイタリアに買い付けに出ていたのですが、彼女とその友達の所に、いくつもの日本の大手商社が仕事を依頼していたのでした。
商社も商品その物の目利きできるわけではないので、専門知識を持っていて、言葉も貿易も分かる日本人が居れば任した方が良いという構図になっていたのでした。
私は彼女に私の専門のテキスタイルを扱ってもらう様に頼み、彼女らにイタリア側の管理をやってもらい、イタリアから入れた生地を私が居た瀧定に販売しようと考えました。
この彼女というのが、京都流でも御馴染みのlunaparkさんです。
貿易は全く知りませんでしたし、お金もありませんでしたので、いくら元居た会社とはいえ、そのままやれば迷惑をかける事になるので、瀧定で話を決めた後、貿易事務とLC(貿易決済)を伊藤忠商事で行なってもらう様にしました。
私は伊藤忠商事と契約して、そこからコミッションを頂くというスタイルでスタートする事になるのですが、この時には本当に、あの嫌になった時期に瀧定を辞めてしまわなくて良かったと思いました。
もしあの駄目社員と思われたまま辞めていれば、まず元居た会社に出入りできていないでしょうし、伊藤忠商事が私の話にのって簡単に契約を結んでくれることなど有り得なかったと思います。
今から考えると、すごい事をやっていたと思います。
いくら、瀧定時代の実績や、瀧定との関係を分かってもらっていたとは言え、私が書いたメモだけで、伊藤忠商事が貿易相手に決済を保証してくれていたのですから。
そんな取引をしていきながら、貿易というものを勉強し、流れが分かった後は自社で直接輸出入も行ったり、雑貨などの輸入元となったりもするようになりました。
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