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社長ブログ

2015.06.21

京都流議定書の最大のピンチ

今月の日経新聞、私の履歴書は、理化学研究所の松本理事長です。

というよりも、まだ、前、京大総長と言った方が馴染みがあるかもしれません。

私は一度だけ、幸運にも、一対一でお話をさせて頂いた事があります。

厳密に言えば、お話をさせて頂いたというよりも、私がプレゼンをさせて頂いたと言った方が正確ですが、3年前の京都流議定書にご出演頂けないか?と30分のお時間を頂き、京都流議定書の目的から、今年のテーマ、そして松本総長にご出演頂きたい理由を、反応を伺いながら、初対面でお話させて頂くのですから、大袈裟ではなく、十年以上振りに、”勝負”のプレゼンをさせて頂きました。

その甲斐あって、ご理解頂き、ご出演頂く方向で調整して頂く事になったのですが、鼎談でご一緒頂く、門川市長が、全国制定指定都市の市長会で出演頂けなくなり、”市長が出ないなら、”止めときます”とのお断りを、一旦頂く事になったのです。

今年で8年目となる京都流議定書ですが、振り返ってもこの時が一番のピンチだったと思います。

その時既に、島津製作所の服部会長は、松本総長との絡みを楽しみに、ご出演を快諾して頂いておりましたので、その再調整が必要な事、そして何よりも、三日間の最初の鼎談のキャスティングが振出に戻るという事で、今年で京都流議定書も終わったか、と思った程でした。

市長の代行というのは、その方がどうという話ではなく、”京大総長と同じ板に乗せるのは失礼だ”と、ある大御所にもご指摘を頂きました。

想いだけで突っ走り、その主旨をご理解頂き、それまでは、各界の重鎮の方々にも、体裁や格というものを外してご参加頂いて来たのですが、私が抱いていた、京大総長のイメージとは全く違う強烈なリーダーシップをお持ちの松本総長は、やはり格を考えないといけないのか?と落胆もしました。

しかし、その強烈さとは裏腹に、直接、お電話頂いたり、私の稚拙なプレゼンもしっかりお聞き頂く姿勢からも、何か”権威”などと言われる感じではない温かさも感じていたのですが、結果的には、
その見方が正しく、”受けましょう!”と言って頂いたのでした。

少しお話させて頂いた中でも、今、の”教育”というもの、そして未来の日本に向けて改革すべき事、その中で、京大というものが果たすべき役割を、本当に、熱く、考えておられるのが分りましたのと、それこそ、名誉や私利私欲からではないという事も、よく分りました。

その時の印象から、強烈なリーダーシップとは裏腹な温かみを感じで来たのですが、今回の連載では、貧しい中で育って来られた事や、お子様が重度の障がいを持っておらた事などを知り、背景が分かった様で、一人で特別な想いで楽しませて頂いております。

心底、全体の為に大きな発想で改革を成し遂げようとすると、ある部分の人には不都合な事となり、ある部分では必ず悪者になります。

それが嫌だから、怖いからと、皆に良い顔、甘い言葉ばかり言っている人が、改革を起こせる筈がありませんし、結局はその方が、自らの保身で動いている人なのです。

又、表面上は同じ事であっても、単に偉そうにやっている人や、我欲や名誉でやっている人とは、必ず違いは出るものですから、その違いをしっかり見分ける様にしないといけないと思います。

日本人は、とかく、耳障りの悪い事を嫌うのと、批判を浴びてでもやろうとする人を悪者扱いし、追いやってしまいますが、これも教育を変えていかないといけない一つのポイントでしょうね。

京都流議定書も、こんなピンチも有りながら、本当に関わって頂いた全ての皆さまのお蔭で今年8年目を迎えます。

松本元総長は、宇宙を利用するという壮大な研究を行って来られ、人類が生きていく圏域全体をも研究していくという事で、生存圏研究所を作られましたが、できるだけ大きな所からの発想と、目の前の事、足元をしっかり見据えていく事が大切なのだと思います。

そういえば、ウエダ本社の社是は、”宇宙を想え、人愛せ”でした。

普遍的で、イケてますね。

松本総長に、”出ない”と言われ、困りながらも、お詫びかたがた、それでもの出演依頼に、”私は気にしてもらわなくていい”と二つ返事で快諾して頂いた服部会長にも、人の縁というものを教えて頂いた気がします。

今年の京都流議定書も、そんな縁を繋いでいきたいと思いますので、沢山の方が、又、その縁を繋ぎにお越し頂きたいと思います。

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