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社長ブログ
2016.03.12
残りの命の使い方
今週はやはり東日本大震災が起きて5年という事で、やはりそれに触れないわけにはいきません。
よく言われる話で、何年というのは周り、特にマスコミなどが言う話で、当事者にとっては、使い方は間違いでないにしろ、イベント的なニュアンスをも感じる、5周年という感覚などは無いと思います。
マスコミの功罪はありますが、ともすれば、被災していない地域や人の中では風化してしまいがちな中、何年目で思い出すこと、少しでも問題意識を持ち心を寄せること、そしてできる行動を起こすことに繋げる為にも、やはり報道は必要だと思います。
阪神大震災で被災した際、翌日10時間程かけて京都の実家に戻り、自分が正に抜け出して来た地域が大変な状況になっている光景を、そこから逃げて来て炬燵に入ってテレビで見ている事に、内面がえぐられる様な罪悪感を感じましたが、震災の特集番組を見ると、同様の想いに駆られます。
全てを投げ出し、一人でそういう地に身を投じたいという想いも何処かに有りながら、自分の立場や、自分がそのポジションでできる使命を全うすべきという想いで抑え込んでいるものが、腹の底でボコボコ湧き出す感じなど、色々な想いが錯綜し、苦しくなります。
最近もこんな暗いというか、深い話をする機会が何度かありました。
私なり、ウエダ本社としての展開が、何をやってるんだかよく分からないと言われる事は多いですが、説明しなくとも、分かってもらえる事も結構あります。
それを分析すると、死生観がベースにあって、何の為に生きるのか?からの発想で展開をしておられる人とは、簡単に説明できるというより、むしろ説明は要らずに済むのです。
ソーシャルビジネスというものに、好感が持てる場合と、逆に、嫌ーな感じを受ける両面があるのもそんな所から来ているのかも知れませんが、そもそも、何の為に存在して、どういう使命を果たすのか?それをできるだけ大きな力に仕立てる為に、事業でそれに向かうというのがソーシャルビジネスだと思います。
ソーシャルビジネスが儲かるからと参入して行ったり、そうでないと評価されないからとCSRとして取り組んだり、今は、ちょっと格好いいからと流行りになっていて、又、それを持てはやす傾向もありますが、上辺が同じ様に見えても、この死生観でフィルターに掛けると、そもそもかツール(手段)として利用しているのかがよく分ります。
必要悪ならぬ必要善?として、ツールや手段でも広がっていく事は世の中にとっては良いのですが、そもそもの想いを持った人が、ツールとしてソーシャルビジネスに向かう人達に使い捨てにされない様に、しっかりした意識を持って欲しいと切に願います。
震災の特集などを見て、悶々とする想いを持ちながら、それを払しょくしてく為にも、死生観をベースに行動していく人と共に、残りの命の使い方を探していきたいと思います。
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