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社長ブログ

2015.07.19

堀場最高顧問に頂いた深いご縁

今週も色々ありましたが、何と言っても大ショックの訃報が入ってきましたので、堀場最高顧問について、綴りたいと思います。

今まで何度も堀場最高顧問の事は書いておりますが、改めて、感謝と共に振り返りたいと思います。

私の親父は、堀場最高顧問から、”社会人になってからの初めての友人”と言って頂いたのをずっと誇りに思っていました。

堀場製作所の前身、堀場無線研究所が烏丸五条で創業したての頃、飛び込みセールスをかけて、意気投合したのが私の親父だそうです。

まだ終戦後の食糧事情もよくなかった頃には、最高顧問の奥様のご実家から送られてくるお米をお家で一緒に食べさせて頂いていたそうで、この事は、三年程前に奥様にお目にかかった際、奥様も鮮明に覚えておられたほどでした。

倒産の危機に直面したウエダ本社に入り、八方塞がりで誰にも相談できず、悩みに悩んだ私は、それまでに多くの経営者の本を読んだ中で、殆ど全てという程、考え方がバッチリ合うと思っていた堀場会長(当時)がどの様に考えられるかを知りたくて、相談に行った事もありました。

倒産の危機に直面した中では、決断のミスが即刻命取りにもなります。

しかし、そんな中、机上論では100人中99人が正解と言うであろう選択が、どう考えても良いとは思えず、堀場会長にアポ取りをさせて頂き、1時間、思いのたけを話させて頂いたのです。

”全くの部外者に、会社の秘密情報も相談するなど、私は経営者としては失格ですが、それでも、どうしようもなく、今まで、ほぼ全て、そのお考えを納得する事ができた会長が、どの様に判断されるか知りたくてご相談に上りました”と、約1時間話させて頂きました。

会長はその間ずっと集中して聞いて頂き、その後、”1時間の話だけでは分からないが、この話だけでワシが判断するとしたら、こっちを選ぶな”と、100人中99人が選ばないだろうと思う、私がそちらにしたいと思っている方でした。

その一言で私は、”ありがとうございます、これで腹が決まりました!”と言って立ち去り、その後の難局に思い切り臨めたのです。

あの時会長が、私と違う方を言われていたら、どうしていたか?想像した事もありませんが、後にして思えば、私の説明ぶりで、私が決断を下している方は会長からすれば手に取る様に分り、その背中を押して頂いたのだと思います。

しかし、そのお蔭で、危機も乗り越える事が出来、その後も、 ちょこちょことアイデアを持ち込んだりする内に、”けったいな(変わった)奴や”と堀場会長から最大級の”賛辞”でご紹介を頂ける様になり、会長の所に相談に行かれた方が、”岡村に会え”と言われたのでと、こちらに来られる事もしばしばありました。

10年前に親父が亡くなった際、その頃には会社も一息つける様になっていたので社葬を行い、最高顧問に葬儀委員長もお願いできた事は、ウエダ本社で、私が親父に対して喜んでもらえる唯一の事だったと思います。

そんな親父の時代から60年以上にも渡るご縁の堀場最高顧問のご逝去は、私にとっても、勝手に親父の様な存在に思っていた事もあり、親族以外の死で、一番ショックなものでした。

お教え頂いた事で、私の考えや展開には大変影響を与えて頂いたと思いますし、ある意味、ウエダ本社を救っても頂いたのですから、皆とも共有する意味も込めて、あと少し、後日、続けたいと思います。

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