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社長ブログ
2007.12.09
ウエダ再興記⑮~ ウエダ本社取締役就任
ウエダの方では、子会社の代表とその後何度か話をしました。
“ウエダに入って本社を立て直してもらえませんか?”切り離して欲しいと言っていたのに、何で?と思いながら、私は”そんな立て直すなんて大仕事は無理だし、そんな気持ちでいてくれるなら、それこそ私は親父を説得して、あなたに全権依頼するから、あなたがやって下さい。
それがウエダにとっても一番良い”とその子会社代表に何度も言いました。
しかし、その人はあくまで自分は子会社しか見る事ができないと固辞しました。
私は大変悩みましたが、やはり身内の会社ではあるので、ここまでの状況になってそれでも知らないという事はできず、とりあえず、週一日だけ非常勤の取締役としてウエダに行くという事になりました。
1999年3月小さい時からウエダには入らないと言っていた私が初めてウエダに関わる事になりました。
しかしだいたいこれが変な話なのです。
私は身内の誰からも頼まれたのではありません。
当時のウエダ本社は、代表取締役会長が父親、代表取締役社長が兄という体制であったのですが、父親は会長に退き社長に任すと言いつつ、肝心な所で決定をひっくり返すという世間でもよくあるパターンでその数年経過していました。
社長の兄は、私と違って温厚で、父親の言う事に従おうとするタイプでした。
ですので、通常は社長である兄が運営していますが、肝心な所で父親が裏返し、何も進まないという状態が続いていたようで、成績も悪化の一途で改革が打てないので、子会社の代表達が本社のアドバイザーとして権限を持っていました。
しかしこのアドバイザー達も、中に入り込んで火の粉を被ってでもという事でやっているのではなく、口だけの介入でしたので、誰も責任を持って物事に当たらないという硬直状態が続いていた様でした。
私は、このアドバイザー達に”立て直して欲しい”という要請をされ、その後どう決定されたのか、給料は10万円で良いですか?いつから来てもらえますか?という話も全て、子会社代表がして来て、最後まで父親始め、身内から入ってくれと頼まれたことはありませんでした。
その時点で自分の身内に対しても、色々思うところはありましたが、週一日でもやる限りは成果は出そうと思ってそれ程、気にはしませんでした。
私は瀧定で鍛えてもらったお陰で、仕事に対してはプロ意識というものを持っているつもりです。
感情がどうであれ、与えられた仕事、役割に対しては、それ以上の成果を出すという事を当たり前と常に考えており、この時もそういう思いでありました。
しかし、いざ入ってみると、自分の考えが甘かったのに気づきました。
会社の実体は数年間ずっと赤字、社内はやる気のない沈滞ムードが蔓延、経理から出てくる毎月の試算表は翌月の25日くらいに出てきて、しかも素人の私が見て、簡単に検算しても分かる間違いが平気である様な状態でした。
外からみるとウエダは子会社もあって、ウエダグループとしてやっていますが、いがみ合っているくらいの感覚で、全く連携が取れていない。
これはとんでもない所に足を踏み入れてしまったな・・これが正直な感想でした。
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