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社長ブログ
2007.01.19
阪神大震災 被災記①
17日は過ぎてしまいましたが、去年5月からスタートの京都流では書いた事がないので、阪神大震災について3年前まで12年程神戸市民であった私としましては、忘れ去られない様に、又、私も振り返る為にも、何回かに分けて綴りたいと思います。
当時私はまだ独身で(実はその前日が結納だったんですが・)兵庫区の海沿いのマンションに一人で住んでいました。
午前5時46分物凄い音と、ベットから振り落とされそうになる位の揺れで起こされ、大地震だと思ったのですが、その頃関西では大きな地震は無いと誰もが思っていましたので、神戸でこれなら日本は終わったと思いました。
寝室から出て他の部屋を見てもまだ暗がりながら、全ての物が倒れ、ガラスが散乱しているのが分かり、危険なので、暫くベットに居る事にしました。
とりあえず、実家にも電話したのですが繋がらず、兄の家だけ繋がりました。
電話に出た、義理の姉に”とりあえず俺は大丈夫だから”と言うと、姉は何となく、何を大そうに言ってるの?という様な雰囲気があり、京都はそこまででもないのか?と感じました。
そんな事をしていると少し明るくなり、部屋の外も人が出ている感じだったので、外に出ると、マンションはひび割れ、それぞれ怪我人がないか確認していました。
同じ階の部屋を見渡すと、皆玄関のドアが少し開いていたので、私は皆冷静だな・・余震が来てドアが開かなくなって閉じ込められるのを防ぐ為、開けているのかと思い、私も部屋に戻って、玄関ドアを開けておきました。
ガラスなどが散乱した部屋を通って、ベランダに出ると、すぐ近くで3件の火事が発生していました。
私のマンションから少し西に行くと、最も被害の酷かった長田区になり、そこから燃え上がっていたのです。
少し後になると、当然の事と思ってしまうのですが、勢いよく燃え上がっているのに、消防車の音は全く聞こえず、ただ無情に燃え上がっているだけでした。
一度外を見に行こうと思い、出かけましたが、その前にまず驚いたのは、先程同じ階の家がドアを開けていると思ったのは勘違いで、殆どの家の玄関ドアが曲がってしまって、閉まらなかったのです。
私は幸い、一番端しの部屋であったので、他よりも少しマシであったから、ドアの開閉が出来たという事だったのです。
勿論エレベーターはストップしていますので、10階から階段でおり、近所に出てみるとそれはもう驚く光景ばかりで、ぺしゃんこになったビル、建物の下敷きになった車、全ガラスが落ちたコンビニ、燃え盛る家屋、通常なら、野次馬であふれる様な火事なのに、そんな光景だらけなので素通りしていく人々、ホントに信じられない光景だらけでした。
そんな中、これこそ冷静だなと思ったのは、主婦っぽい人々が、飲み物の自動販売機に並んでおり、手ぶらで出てきた私は直ぐ、お金を取りに帰りました。
つづく。
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